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昭和63年(1988)

57.魚センター建設構想検討委員会設置 (昭和63年3月)

 昭和63年3月、本所水産部会(増田高彦部会長)は地元水産界振興を狙った魚センター建設構想で、検討委員会を設置し同構想の可能性について検討を行なった。
 検討委は、県漁連、長崎魚市、仲卸、小売、底曳、旋網業などの生産者、水産加工業、流通関係者ら10団体の代表で構成された。前年、静岡県焼津市の焼津さかなセンターを視察するなど、長崎の水産界の活性化対策にも取り組んだ。

58.大型架橋実現へ向けて建設促進協議会を設立 (昭和63年4月)

 わが国の西端に位置する長崎県は、地形的特殊性から陸路での隣接は佐賀県のみでかつ多数の離島を有することから、総合的交通体系の整備は架橋に依存するところが大きい。このため本県では、熊本県との連絡道となる島原・天草架橋はじめ、長崎空港大橋、女神大橋、伊王島大橋など計13橋の大型架橋プロジェクトの実現に向けて調査、研究が進められた。
 架橋促進は交通体系の整備のみにとどまらず、産業基盤の整備、地域産業の活性化、離島の振興、さらに建設に伴う工事需要の創出など地域経済への波及効果は計り知れない。これら大型架橋の実現には県など行政当局の積極的対応と地域の民間各団体の協力が不可欠で、経済界も強力な支援体制を築こうと、昭和63年4月、本所で「県長大橋建設促進協議会」を設立、大型架橋の建設実現へ向けての取り組みが本格スタートした。
東京のマツヤサロンで開催された三県架橋構想推進大会
 設立総会は、高田勇知事、初村誠一県議会議長を迎え、県内の経済各団体の代表20人が出席。発起人代表の清島省三県商工会議所連合会会長が「架橋実現は離島振興、地域経済の活性化に大きく寄与することは、天草五橋の例でも実証済み。本四架橋も四国地方への企業進出、ビジネスや観光客の流入にさらに弾みがつくと期待されている。架橋工事に伴う地域の経済需要の創出も見込まれ、上五島石油備蓄、松浦火電に次ぐ大型プロジェクトに育てたい」と大型架橋実現へ懸ける意欲を示した。
 続いて協議会会則を承認、会長に発起人代表の清島省三県商工会議所連合会会長を選出した。また席上、清島会長が高田知事、初村県議会議長に対し「大型プロジェクトの実現について」陳情。これに対し、高田知事は「架橋は袋小路的な県内交通体系整備に不可欠。行政、民間一体となって、建設促進に努めたい」と力強い決意を述べた。

59.ながさきまつりを活性化 (昭和63年4月)

 市制施行100周年、本所創立110周年、平成2年の長崎『旅』博覧会開催を前に、長崎開港418年を祝う『ながさきまつり』が、昭和63年4月27日から3日間市民総参加で盛大に繰り広げられ地域振興と経済発展のメインイベントとして装いを新たにスタートした。本所内に、ながさきまつり実行委員会を設け、イベントの拡大、充実を図ったもので、企業や市民総ぐるみの盛り上がりがみられた。初日は清島会頭ら関係役員が諏訪神社で先賢顕彰式、長崎魚市でお魚供養、本所ホールで純心短大助教授の宮崎賢太郎氏による『長崎開港と南蛮文化』の記念講演会。2日目は市公会堂でながさきまつりの夕べを開き、ミス長崎選彰式やグループ対抗歌合戦、歌謡ショーなど多彩なプログラムを、約1,500人の市民が楽しんだ。フィナーレを飾る3日目は、市中大パレード。初参加の三菱重工業長崎造船所など37団体、約6,000人が参加、趣向を凝らした出し物やパフォーマンスを繰り広げ、沿道を埋めた市民や観光客を喜ばせた。
初参加の三菱重工業長崎造船所の龍船
 マンネリ化が叫ばれるまつりに『新風を吹き込み、くんちと並ぶ長崎の春のイベントに』と本所も総力戦で取り組み、実行委を中心にかってない盛り上がりをみせた。初めての企画のバッテン市場の開設や、海外旅行など豪華賞品が当たるまつりうちわ抽選会、まつり総集編のテレビ放映などは、特に人気を集めた。また総勢700人に上る三菱重工業長崎造船所の龍船、山車、民踊団などをはじめ、博多どんたく隊、アジア太平洋博のキャンペーン、長崎『旅』博覧会の特別参加などもあって、ながさきまつりの健在ぶりを示すことができた。

60.中央地区再整備に関する提言 (昭和63年5月)

 長崎中央地区再整備について本所都市問題特別委員会(委員長・松田皜一副会頭)は、『モザイク状の町構造を継承、その特性を生かしつつ、再整備を急ぐべき』との提言をまとめ、昭和63年5月、本島市長に要望した。提言は中央地区の活性化を図るための再整備の在り方について基本的な思考を示した。
 中央地区は、浜町商店街、磨屋、銅座、思案橋、江戸町、桜町などが対象。長崎港臨港都や長崎駅周辺地区の再整備についての提言に続くもの。中央地区の特性、問題点、再整備の基本方針などについて、市の中核を形成する地区だが、活力は衰退気味で、機能的、活力的な都市活動を支えるには貧弱な構造と指摘。多様な特性を持つ小さな区域から成った密度の濃いモザイク状構造が、他都市に見られない特性で、長崎の魅力ともなっている。しかし電車、バス、路線が都市交通のネットワークを構成、多数の観光資源が山手を中心に帯状に連なっているが、それぞれがバラバラの点としてあるだけで、これらを結ぶ道路、標識などの整備による機能が働いていない問題点を挙げ、再整備に際してはモザイク状の特徴を生かし、大規模な都市開発事業はすべきでないとしていた。
 またコンベンション機能面では、臨港部をその受け皿とし、臨港部と中央地区との機能分担を図り、再整備の手法として、原則的に新たな用地買収をせず、私的空間(私有地)と公的空間(道路など)の融合を図るべきだとしていた。
 また、9月には中央地区再整備に関連し、交通問題に関する提言を発表。大型駐車場の設置と公共交通機関のシステム化並びに歩行者空間の整備を前提に車輛乗り入れを制限することが必要であるとの考えを将来的課題として提言した。

61.情報処理技術者試験長崎地区協力機関開始 (昭和63年6月)

 国家試験の情報処理技術者試験が長崎市でも受験できるようになり、本所が日本情報処理開発協会情報処理技術者試験センターの協力機関としてスタートした。同試験は高度情報化社会の進展に伴い、情報処理技術者の不足と需要の急増に対応するため、またプログラマーの認定制度の要望に応えるのが目的。
 試験は昭和44年から発足、情報処理技術者として備えるべき一定水準の能力に、技術力などの認定によって、 (1) 情報処理技術者に対して目標を示し、刺激を与えることで技術の向上を図る (2) 能力水準の基準化により教育水準を確保する (3) 技術、能力の評価の客観的尺度の提供 (4) 一般の情報化への意識向上を図る―としている。
 本県でも受験者数は急増していたにもかかわらず、これまで福岡市でしか受験できず、市内での受験の場が切望されていた。このため本所は県、福岡通産局の支援を受け、昭和63年6月、日本情報処理開発協会情報処理技術者試験センターと長崎地区協力室設置に関する契約を交わし、正式に協力機関としてスタートした。

62.小規模企業経営教室開講 (昭和63年8月)

 小規模事業の能力開発を推進する本所初のセミナー『明日を生きる企業経営教室』が開講、昭和63年8月から4カ月、20回にわたる商店主らの学習塾が始まった。中小企業庁や県のバックアップで、日常多忙な小規模事業者の能力開発に、体系的教育制度を通じて効果を上げようという狙い。厳しい経済環境下、新たな時代にも対応できるよう経営者及び後継者の資質向上を図り、実務に役立ててもらおうという小規模事業者向け経営戦略。
 カリキュラムは、経営管理、流通、国際化、情報化などの体系的、総合的内容、当初、定員50人だったが、申し込みが119人を数え、関心の高さから全員を受け入れた。
 開講式では、本田本所専務理事、森元県経済部長らが受講者を激励、NHK商業セミナーのキャスター、大塚利兵衛氏が『最近の経済動向と消費者変化への対応』と題して記念講演を行なった。

63.長崎県ソフトウェア産業協議会発足 (昭和63年9月)

 昭和63年9月、長崎県ソフトウェア産業協議会が設立され、ソフト産業振興に本格的に取り組むことになった。
 産業や社会の情報システムの高度化、複雑化に伴い、情報処理サービス業の果たす役割は年々大きくなっている。その中で本県は、市場との遠隔性、処理技術者の確保、ビジネス情報の不足など数多くの問題を抱えている。このため技術の向上や人材育成などに専門的に取り組み、ソフト業界の振興発展にスクラムを組もうと、県内約100社が協議会設立に参加した。
 総会では会長に関口守氏(長崎電算センター)を選任、会員相互の情報交換、技術、経営の向上、ソフトウェア産業振興のための調査研究の推進などの事業計画を決めた。

64.長崎コンベンション・ビューロー発足 (昭和63年10月)

 東京一極集中化が進む中で、地方都市は21世紀に向けて先端企業の誘致、ウォーターフロント、リゾートの整備、コンベンション都市化などの地域経済活性化を模索する動きが活発化していた。
 長崎市でも急激な円高、国際化、情報化などの進展によって産業構造の変化や日本の西端という地理的ハンデなどから、造船・水産など基幹産業の低迷が続き、新しい都市活性化戦略の必要性が強く求められていた。この中で長崎市が持っている歴史や文化の特質を生かしつつ、地域経済活性化を進め、活力と魅力に満ちた都市再生のビジョンとして、県、長崎市が一体となって61年3月『ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001』構想を策定した。この構想は、長崎市が21世紀に向けて飛躍するための都市経営戦略として、長崎の知名度を基軸にしたコンベンション都市を目指すことを緊急課題としており、その企画、誘致、支援などのソフト部門を推進する組織としてコンベンション・ビューローの早期設立が望まれていた。
設立総会で挨拶する松田副会頭
 コンベンションとは、会議、大会、集会、見本市、イベント、セミナーなどを多数開催していくことで、人、物、金、情報を域外から吸収、地域経済や文化の向上に役立てていく狙いがある。本所としては、長崎港臨港都の再開発プロジェクト事業を通じ、長崎市の都市再活性化への道を、コンベンション都市化に求めていた経緯もあり、ビューローの設立の必要性を県、長崎市に働きかけていた。
 これを受けて61年10月、県、長崎市、本所、市観光協会の4団体が長崎コンベンション・ビューロー設立可能性調査検討委員会を設置、先進都市の活動状況調査、長崎での設立の可能性について研究を重ねた。この結果に基づき、コンベンション都市の形成には、ソフト面での整備が課題とされ、ビューローの設立総会が開かれた。総会では会長に松田皜一市観光協会会長を選出、広報宣伝活動、誘致・支援活動、調査・企画活動など事業計画を決めた。

65.第17代会頭に中部長次郎氏就任 (昭和63年12月)

挨拶をする第17代会頭中部長次郎氏
 激しい変化の時代、経済摩擦、円高への対応として内需拡大が急務となり、かつての国際競争力強化に代わって、ゆとりや豊かさ、潤いなどが、地域経済社会でも求められるようになった。順調な景気の拡大の中で、情報化社会の伸展、急テンポな技術革新、国際化のうねりはめまぐるしい限りで、地域でも新たな経済環境への対応が急がれている。そんな情勢下、昭和63年12月、本所は役員改選を経て、新時代への体制を一新した。
 4期12年、低迷期の地域経済建て直しと地域性化に尽力した清島省三前会頭の退任を受けて、第17代の新会頭に中部長次郎氏が選任された。副会頭は今期から定数を4人に定款変更、松田皜一、澤山精次郎、安達倉三、石丸太郎の4氏を指名するとともに、常議員28人、監事3人を選任。専務理事に大賀昭治氏が決まった。
 会頭に就任した中部氏は、昭和37年12月から議員、同38年3月から常議員、同年12月から副会頭を務めてきた。
 就任に際し、中部会頭は『受け身ではなく、チャレンジする商工会議所を合言葉に、地域経済振興へ積極的な提言を実行。次代を担う人材育成などにも自信と勇気をもって取り組みたい』とチャレンジ精神の高揚を強調した。

66.長崎水産振興連絡協議会設立 (昭和63年12月)

 水産長崎の活力をよみがえらせようと、長崎水産振興連絡協議会が昭和63年12月設立された。
 水産業界が各業種毎に対処している諸問題の解決にスクラムを組もうとの試みで、底曳、旋網、漁連など生産団体はじめ、魚市、仲買、小売などの流通業関連12団体で組織、設立には本所の増田水産部会長をはじめ、坂田長崎魚市社長、浜崎長崎水産振興協会長、藤岡県漁連会長らが参加。当面、平成2年に開催される長崎旅博への協力や長崎魚センター構想などの具体化に取り組むこととした。

67.消費税への取り組み (昭和63年12月)

 昭和25年シャウプ勧告に基づく税制以来の大改革といわれる消費税はじめ、税制改革関連六法案が、昭和63年12月27日、第113回臨時国会で成立。これら税制法案のうち、企業経営にとって極めて大きな影響が予想された消費税は、平成元年4月1日から施行された。
 この消費税は、課税ベースの広い新しいタイプの間接税であり、従来わが国にはなかった制度だけに、特に産業界ではその運用へ向けて大きな不安と戸惑いを生じた。こうした状況を踏まえ、本所では、同制度普及について職員研修をはじめ、会員事業所を中心に、その概要、仕組みなどについて説明、研修会を開催した。
 ▽1月23日=本所職員、▽同27日=本所議員事業所、▽2月6日=卸・小売業会員、▽同7日=サービス業会員、▽同14日=製造・建設業会員
 このほか、本所青年部・婦人会でもそれぞれ部会員対象に研修会を開き、消費税の円滑実施に備えた。またこれらの取り組みと併行して本所中小企業相談部は、2月20日、顧問税理士の協力を得て消費税特別相談窓口を設置し、消費税の普及指導に当たるとともに、事業者の新税制に対する様々な疑問、不安の解消に努めた。
長崎商工会議所
〒850-8541
長崎市桜町4-1 長崎商工会館2F
TEL.095-822-0111
FAX.095-822-0112/825-1490


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