昭和56年(1981)
8.都市環境整備特別委員会発足 (昭和56年3月)
本所は昭和56年3月、都市環境整備特別委員会(委員長・松田皜一副会頭)を設置し、長崎市の都市計画推進について積極的に調査、研究、提言などに取り組むことになった。 委員会は過密化が著しい同市で、市街地の変化に伴う用途地域指定の変更や建物の新増改築に際し、あい路となっている建ぺい率、容積率に関し、市内の都市美観の保持なども含め、地勢的特殊事情などを考慮した結果(1) 都市計画用途地域指定に関する事項 (2) 本市の特殊事情に基く建物建築の際の建ぺい率、容積率の在り方 (3) 中高層建築と環境問題 (4) 都市美観の保持 (5) その他など都市環境問題全般にわたって取り組んでいくことになった。
また同委員会は、市内の総合的都市計画の策定、用途地域指定や容積率の見直しなど中間答申をまとめ、この答申を本所として長崎市に提出した。答申は同委員会が専門家の意見を参考に市当局との懇談、商店街関係者らとの意見交換などを基にまとめた労作で、土地の高度利用、有効利用、複合的利用、遺産と都市機能の調和、自然条件の活用、商業近代化計画の実現などから成っている。さらにこれらの達成のため、工場・倉庫群の立地見直し、都市再開発業促進、既定都市計画の見直しなどを挙げ、プロジェクトチームを編成して都市環境整備を推進すべきと要望した。
9.商業近代化地域計画策定事業報告まとまる (昭和56年3月)
昭和56年3月、長崎地域で進められていた商業近代化地域計画策定事業が終わり、報告書がまとまった。中小企業庁の委託で本所が1年がかりで取り組み、商業、行政、消費関係者や学識経験者らの協力でまとめられたもので今後の長崎の商業の方向を示した。
報告書は(1) 商業近代化地域の現況と展望 (2) 地域商業の現状と分析 (3) 商業近代化の基本的方針 (4) 商業近代化の具体的展開の4部で構成、問題点や将来像を指摘、提言している。それによると、長崎市の商業は安定経営が維持されてきたが、周辺地域への人口拡散、郊外への大型店出店、中心部の交通渋滞、基幹産業不振などから、停滞傾向で打開策が急務。商業近代化はそれらの問題解決はもちろん、歴史と地理的特性がはぐくんだ長崎らしさを生かすことを第一に都市再開発、都市機能の整備、都市秩序の形成を併せ考える必要があると提言した。
また、中心部だけが過度に商業集積を高めることは今後の商業発展のうえで問題が多いとしたうえで、近代化の具体的展開としては中心部は回遊性を持たせると同時に、都心としての風格、文化性、専門性を高め、観光との関連性を強め、都心居住性を高めるなど中心商店街としての魅力向上が必要であるということ、住古・中園地域には、生活都心機能を備えて十分に消費生活に応えうる商店街形成が望まれるとした。駅前地区は長崎新幹線駅舎設置と併せ、長崎港の埋立など市の核としての地域づくりとして、臨海緑地市民広場などを考えてはどうかと提言した。
10.長崎伝統芸能館オープン (昭和56年4月)
観光長崎の目玉にと、長崎市が南山手町のグラバー園内に建設中の長崎伝統芸能館が完成し、昭和56年4月、春のシーズンに向けて開館した。
同館は日本三大祭りの一つである長崎くんちを常時、観光客に見てもらうとともに、傘鉾や曳物などを保存、展示している。
建物は鉄筋コンクリート建て、地下1階、地上2階(延べ2,309平方メートル)で、明治の洋館のふん囲気を取り入れており、中には長崎くんちの映写コーナー、傘鉾や船などの展示場、休憩室、売店など完備している。総事業費10億円。
11.長崎マルケイ会設立 (昭和56年5月)
昭和56年5月18日、長崎マルケイ会が設立された。小企業等経営改善貸付の利用者と密接な連絡体制をつくることで、効率的金融あっせんと併せて、各種の小規模事業経営改善普及事業の浸透を進めた。7月当時、本所地区の商工業者は21,048事業所、従業員数158,848人で、そのうち小規模事業所数は総数の70%相当の14,730事業所。小企業等経営改善資金(マルケイ資金)の利用者は2,000事業所であり、まだこの段階での普及率は必ずしも高くなかった。しかしながら無担保、無保証という画期的な他にも類を見ない融資制度により、2,000事業所がその恩恵を受けて経営安定を図ることができたのは、大きな成果であり、この制度普及の地固めができ上がった段階に、長崎マルケイ会が発足をみたことになる。
長崎マルケイ会の目的はマルケイ資金の利用者と商工会議所との緊密な連絡体制によって、会員相互の連携、親睦、自己研讃に努めることから、異業種交流の中小企業集団としての性格も濃くしていた。当初は手探り状態だった会も、年を追うごとに本来の目的に沿った活動が見られるようになり、さらに地域商工業界に貢献する小企業育成団体としての活動を行なった。
12.田上、田手原、早坂町を本商工会議所地区に編入 (昭和56年6月)
本市の田上町、早坂町、田手原町の管轄が昭和56年6月、茂木商工会地区から本所地区に編入された。当該地区は、長崎市内商圏とのつながりが強く、かねてから地区商工業者より変更の要望が出されていたもの。議員総会において編入に同意。定款変更など所要の措置を行なった。
13.婦人会創立20周年 (昭和56年6月)
昭和36年6月、長崎婦人経営研究会の名称で全国に先駆けて発足した本所婦人会は、昭和56年“はたち”の成人式を迎え、創立20周年記念式典を行なった。同婦人会は、婦人経営者の自己研讃と会員相互の親睦、地域社会福祉の向上を狙って発足。毎月1回の勉強会をはじめ、各種大会への参加、視察研修旅行、福祉事業、他地区婦人会との交流促進など精力的に活動、地域社会の発展と女性の社会参加のモデルとして大きな役割を果してきた。長崎に続いて県内各会議所にも婦人会の設立が相次ぎ、その中核的存在としてリーダーシップを発揮してきた。
記念式典では、長崎市に社会福祉基金を贈るとともに、経済評論家の井原隆一氏を講師に『これからの企業経営について』と題して記念講演会を開いた。
14.商業サービスセール開催 (昭和56年10月)
本所は日本商工会議所と共催の商業サービスセールを昭和56年10月に長崎市のセブンツーボウルで開き、日ごろ一般消費者に密接な衣料、食品、雑貨など家庭生活用品を10%以上の値引き価格で販売した。地域商業の振興と消費者、小売業者間の相互理解の促進、消費生活安定、物価安定が狙いとなっている。
セールの参加は、衣料18店、食品13店、日用雑貨4店、時計・貴金属7店、家電2店、その他、バッグ・アクセサリー7店の計51店。3日間の期間中、主婦ら延べ13,000人が訪れ、ミ二百貨店並みの販売に、売れ行きも好調だった。買い物客対象のアンケート調査では『良心的なアイディア』『店舗数をもっと多く』『サービスセールを日常的に心かけて』など消費者らしい意見が相次いだ。
また消費生活相談コーナーも盛況で、消費者と商業者のよきコミュニケーションの機会ともなった。