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昭和59年(1984)

27.商業近代化実施計画(住吉・中園地区)策定 (昭和59年3月)

 昭和59年3月、本所商業近代化長崎地域部会(部会長・清島省三会頭)が進めていた往古・中園両商店街近代化の実施計画が決定した。千歳町の県住宅供給公社アパートの建て替えを機に隣接する両商店街の近代化を促進させる計画で、長崎北部の生活都心を目指した提案がまとまった。
 実施計画では、対象地域は住吉、中園両商店街と同アパート敷地を含む区域を中心に、住吉、中園、千歳、若葉各町の7.15ヘクタール。『北部地区の生活都心』と整備目標を掲げ、そのために (1) 都市環境のアメニティー(快適性) (2) 住民ニーズに適合した商業環境 (3) コミュニティ機能 (4) 住宅環境の整備 (5) 交通の利便性を重要な開発要素とした。
 これらの実現のためにショッピングモールの設置はじめ、既存商業施設のリニュアル、土地の有効利用、公共公益施設街区の整備、駐車場の整備、歩行者道路の整備、公園整備など20項目の具体的提案を示した。

28.会議所活動への会員アンケート (昭和59年3月)

 本所が全会員を対象に実施していた会議所活動に対するアンケート調査の結果がまとまった。経済の活性化を促進する事業への期待や経営改善資金の貸付、経営指導の強化、情報提供など経営に直結した指導、サービスの提供などが強く求められていることが分かった。
 調査結果によると、会員対策事業は、経営改善資金への要望が最も多く、次いで共済制度の充実、個人青色申告の指導受付、経済講演会の開催などの順。地域振興対策事業では、外環状線道路など市内道路の整備をトップに、九州横断自動車道建設促進、大型プロジェクトの早期着工などを求める声が多かった。
 このほか、都市環境の整備、大型店、コンビニエンスストア対策、周辺商店街振興、観光振興対策などへの要望も目立った。また一日商工会議所や部会、委員会活動など会員へのPR、報告の徹底を求める意見も相次いだ。

29.情報通信特別委員会設置 (昭和59年4月)

 ニューメディアの急速な普及発展に対処するために本所は昭和59年4月、情報通信特別委員会(委員長・中部長次郎副会頭)を設置した。地域産業界においても、その活用によって地域経済の活性化をはかるのがねらい。
 委員会の活動内容は (1) 知識や情報の把握 (2) 先進地視察 (3) 地域の活用状況(動向)の把握 (4) 研究会、講演会の開催など。
 さっそく和田紀夫氏(日本電信電話公社長崎通信部長)を迎え「ニューメディアの現状と将来」と題し、懇談会を開催した。講師の和田氏は、キャプテンシステムの仕組み、サービス内容、地域キャプテン設立の事例などを説明。長崎におけるニューメディアの取り組みの必要を強調された。
 その後も、県のテレトピア構想、ニューメディア・コミュニティ構想の策定に深くかかわるとともに、「ナガサキ・メディアセンター」設立(昭和61年5月)の際には主導的役割を果たすなど本県の情報化の推進に活躍した。

30.初代会頭松田源五郎翁の胸像除幕式 (昭和59年10月)

松田源五郎翁の胸像の序幕を行なう松田恭一君と晶子ちゃん
 本所初代会頭、松田源五郎翁の胸像が完成、昭和59年10月1日、本所創立105周年記念日に会頭室で除幕式を行なった。
 松田翁は天保11年(1840)、酒屋町に生まれた。少年時代、全国を回って貿易通商を学んだ後、明治4年に、長崎で永見松田商社を設立。第一国立銀行の嘱託で上海、香港へ渡航したり、県議会議員などとしても活躍した。明治12年全国で5番目の長崎商法会議所の設立に尽力、初代会頭に就任した。
 胸像は本所の今日の礎を築き、長崎地域経済の発展に貢献した翁の功績をたたえるためで、彫塑家・大村清隆氏(福岡出身、自由美術会員)の手によるブロンズ製。除幕式では、清島会頭や翁の子孫にあたる松田副会頭ら役員が出席し、松田副会頭の孫の松田恭一君と晶子ちゃんが除幕した。

31.長崎マレーシア協会設立 (昭和59年11月)

マレーシアの高校生と交流する青少年親善訪問団
 国際化交流の取り組みとして本所を中心に、長崎マレーシア協会が昭和59年11月、設立された。本県と地理的に近い東南アジアの中でも近年発展著しいマレーシアと経済、文化、社会など各分野の交流を通して、相互発展を図るのが狙い。
 本所はじめ、三菱重工業長崎造船所、マスコミ、金融機関、商社、建設会社など20数社が設立に参加、会長に清島省三会頭を、副会長に相川賢太郎同造船所長、中部長次郎長崎放送社長を選任、名誉顧問にマレーシア駐日大使の就任を決めた。初年度事業計画として、 (1) マレーシア駐日大使の長崎への招へい (2) マレーシア留学生との親善交流(懇談会、生活実態調査、技能修得あっせん)などの実施を決めた。

32.先端技術でハイテク時代へ対応 (昭和59年11月)

 本所と長崎先端技術開発協議会は、バイオテクノロジー講演会、パネルディスカッション、異業種交流大会、コンピューターセミナーなど相次ぎ開催し、ソフト化、ハイテク時代に対応する多様な取り組みを展開した。情報化、高度技術時代を迎え、企業経営の面でも時代の要請に沿った戦略が求められ、これらの取り組みが、ナガサキ・テクノポリスフェア、新素材開発利用講演会、ナガサキ・ハイテク・シンポジウム開催などへと膨らんでいった。
先端技術企業の視察会
 バイオテクノロジー講演会は、微生物など生物の持つ機能を利用して新製品開発を図ろうという狙いで、講師に土山健介福岡通産局総務部長、大友信也化血研常務理事、鶴大典長崎大薬学部長を迎え、『先端技術研究開発に対する国の施策』『バイオテクとワクチン』『微生物の持つ潜在能力の開発』などをテーマに研修を深めた。
 異業種交流大会は、『高感度時代の成長戦略を探る』をテーマに開き、加藤廣山一証券経済研究所顧問らを講師に、異業種交流の成功例などを参考に、新製品創造への可能性、技術力や企画力の交流などを学んだ。コンピューターセミナーでは、OA時代に対応した企業経営の中でのコンピューターの活用や、POSシステムの活用例、戦略データベースの活用法など情報化時代の経営を研修した。
長崎商工会議所
〒850-8541
長崎市桜町4-1 長崎商工会館2F
TEL.095-822-0111
FAX.095-822-0112/825-1490


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